掃除とGTD

我がイーコスには様々な規則があって、その中には掃除に関する取り決めもある。掃除道具買うのに金を惜しむなとか、毎回違うところを掃除しろ、とか。

毎回違うところを掃除しろというのは、なかなかに奥が深い。整理整頓を怠り、掃除の手を抜いていると、掃除できる範囲が狭まってくる。未整理のモノが滞留するからだ。

最近気づいたが、どうもわたしは掃除というものを軽視していたようだ。エントロピーの法則からすれば、モノが散らかり乱雑になっていくのは当然のことで、それに反してモノがよく整理された状態を維持するには、もっと掃除に情熱を注がなければならない。いや、情熱とはいつか冷めるもの。そんな不確定な要素には頼れまい。歯を磨いたり風呂に入ったりするごとく、掃除を当たり前の習慣にしなければならない。

習慣化、というなら、やはりGTDのシステムに掃除も位置づけたい。そもそも、最初にGTDを導入しようとして破綻してしまったのは、GTDが情報のみのものと思いこんでしまったからだ。やはりちゃんと本読まないとだめかな。でもあれ、翻訳が不評だからなあ。

今晩は決意し、部屋をばっさり掃除した(といっても、まだところどころに滞留物がある状態)。決意なんかせずとも、無意識のうちに掃除が終わってるぐらいの境地を目指したいが。

その後、A4ファイルボックスを物理的なInBoxとして用意した。日々の掃除は当然として、週次レビューでこのInBoxも処理し、モノが滞留することを防ぎたいが、週次レビューの時間さえなかなか取れないからなー。まあ、そこをなんとか。