おじいちゃん戦争のことを教えて

おじいちゃん戦争のことを教えて

おじいちゃん戦争のことを教えて

概要

素晴らしい本でした。
陸軍士官学校在籍中に大東亜戦争の終結を迎えた著者。孫娘から本書のタイトルの質問を受け、それに全力で答える、という内容です。

前大戦の意義とは。日本人とは。国家とは。こういったことは、ふだん私たちはほとんど考えないようにしています。なぜ考えないのかも含め、これらのことについて、著者が真摯に述べています。

近代史はなにも教えなかった

わたしは昭和40年代生まれです。他の世代がどのような近代日本史の教育を受けたかは知らないのですが、著者の孫娘の質問からすると、わたしが受けた教育も、彼女と同じレベルでした。つまり、ほとんどなにも教えてもらわなかった、ということです。

わたしは日本史が好きなのですが、明治維新以降の近代史は好きではありませんでした。教科書に何が書いているのかさっぱりわからなかったからです。維新以降、なぜ日本は戦争を繰り返したのか。特に、後世から見れば無謀ともいえる大東亜戦争をなぜ引き起こしたのか。

それがさっぱりわからない。わからないが、なんか悪いことをしたようだ。日本史教科書の近代史のあたりは、こんな印象でした。

これは、意図的に、わからないように書いているからわからないわけです。その後、少しばかり近代史を独学し、どうにか腑に落ちるまでのところには至りました。

本書において、著者は自分なりの論として主張を述べていますが、とてもわかりやすく、これがそのまま教科書だったらよかった、とさえ思いました。

当時の日本人の気持ちになって

かなり端折れば、近代日本の戦争は、ロシアの南下や、欧米列強の帝国主義からの防衛戦であり、侵略戦争などではなかった、ということです。

列強の帝国主義に、日本が帝国主義をもって戦ったのは当然のことであり、時代がそうだっただけのこと。もっとさかのぼれば、有史以来、人類は多くの戦いを繰り返し、その尊い犠牲のうえに、現代、これまでよりちょっとだけましな、戦争の起こりにくいシステムを構築できた、といえるのであり、日本の帝国主義だけが悪とされていいはずがありません。

侵略ではなく、防衛だった。これは現代日本に住んでいる限り、実感しにくいことです。わたしも、こんなこと実感できません。ただ、地図を眺め、江戸時代末期から近代に至るロシアの南下、また欧米列強の動向などを追い、当時の日本人になった気分で想像してみると、なんとなく、当時の日本人の数十分の一でも、時代の気分というものを味わえるのではないでしょうか。

国家とはなにか

戦後。日本に二度と戦争を起こさせないため、GHQによる政策で、日本人は価値観をがらりと変えられた。

そして、その狙いは成功し、同時に、日本人の持っていた美徳も、失われてしまった、と著者は述べます。

教育勅語の精神を現代に蘇らせる必要がある、公のために身を捧げるのが最も尊い行為だ、というのが著者の論です。憲法改正、祭司王としての天皇陛下の存在、日本人の心としての神道にまで、話が及びます。どれも、いちいちもっともだと思いました。

前段に挙げたキーワードは、ここに抜き出しただけでは、どれも国家主義的な匂いがしてくるかもしれませんが、著者の真意は違うところにあります。

現代の日本ほど、自由な国はかつてありません。これほど、個人がなにをしようが自由という国家は、かつて存在しませんでした。しかし、自由であることが、そのまま幸福に直結するわけではない。今の日本に住んでいる多くの方に、うなずいていただけるのではないでしょうか。

たとえば教育。わたしたちは、義務教育の過程で、日本国憲法による自由権を教わります。経済的自由権、精神的自由権、人身の自由が、保障されているのです。

しかし、そこから先の、人格形成のための教育を受ける機会は、なかなかありません。自由なだけでは、幸福にはなれないのです。和を尊ぶ心や、利他の精神など、本来日本人が持っていた民族性を復活させることが、様々な分野で行き詰まってしまった現代日本には必要ではないか。

そして、そのためには、教育勅語や神道は、とてもいいことだと思います。前述のように、自由すぎるほど自由な現代日本ですが、自由すぎて国家としての底が抜けてしまっており、その底をぴったり閉めることができるのは、そういった日本の伝統的な存在だけなのでは、と思うのです。

最後に

本書は、K社S本部長にお勧めいただき、読む機会を得ました。素晴らしい本をご紹介いただき、誠にありがとうございました!